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石貨(せきか)は、フェと呼ばれ、ヤップ島で使われた石の加工物。ヤップ語では「ライ(Rai)」という。 == 概要 == 石貨の由来や歴史ははっきりしていない。 形状は、おおむね円形(円盤形)で中央部に穴が開けてある。小さいものは直径30cmくらいで、普通は直径60cmから1m余り、大きいものになると直径3m、重さ5tほどにもなる。中央に穴を開けているのは、そこに丸太を差しこんでかつげるようにするためである。 この石貨となる結晶質石灰岩(大理石、アラゴナイト、炭酸カルシウム、霰石(あられいし))〔小林繁樹「世界最大の貨幣」/ 印東道子編著『ミクロネシアを知るための58章』明石書店 2005年 175ページ〕はヤップ島では産出せず、約500km離れたパラオから運ばれた。ヤップ人はカヌーの船団を組んでパラオに航海し、パラオ人との交渉を通じて石を採掘する許可を得た。石斧などで何か月もかけて石貨を切り出し、いかだに乗せて持ち帰った。これらの航海には危険が伴い、多くの者が亡くなった。その苦労度が高い石貨ほど値うちがあるものとされる。 19世紀後半(1870年代)より、欧米人がこれに目を付け、ヤップ人に代わって石貨製造に関わるようになった。中でもアイルランド系アメリカ人のデービッド・ディーン・オキーフは、1872年から1901年まで、最新式の機材をパラオに持ち込んで石貨を製造、それをヤップ島に持って行き、コプラと交換して莫大な財を成したという。オキーフ作の石貨は数千個あるといわれ、あまり「苦労」することなく製造されたことから、値打ちは従来のものよりも下がるとされている。 ヤップ島での石貨は、最終的には、1931年まで造られた。 日本統治時代は約1万3000個〔1929年時点で、1万328個あった〕あったが、戦争や自然災害などで今では半数まで減っているといわれている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「石貨 (ヤップ島)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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